私の知人である苫米地英人さんがよく言われる
「コンフォートゾーン」というのは
本当に恐いと身をもって知らされました……
(苫米地さんの本に、時々私も登場していますので
よかったら読んでみて下さい~)
コンフォートゾーン=その人が一番心地よいと思う生活
という意味です
コンフォートゾーンを設定すると
人はそこで生きるのに相応しい人間に自然となるというのです
例えば、ある人が年収100万円だとします
これは、臨むと望まざるとに関わらず
自分は年収100万円の暮らしが性に合っている
(ここがコンフォートゾーンだ)
と心が決めているので、いつまでも年収100万円なんだそうです
でも、実際は年収100万円でも
自分のコンフォートゾーンを年収3000万円に設定できたら
つまり「私は年収3000万円の人間である」というのが
超リアリティーを持ってイメージできれば
自然と3000万円稼げるようになってしまう
という論旨なのです
※ここで間違わないで欲しいのは
年収100万円がダメで、年収3000万円が
いいと言っているわけではありません
年収100万で心豊かに暮らす人もいるし
年収3000万であくせく奴隷のように働く人もいます
どちらがいいという話ではなく
コンフォートゾーンを説明するために
単に数字として使っているだけです
話は戻りますが……
そんなバカな……と思いますよね
でも、これの逆が実際に起きたのです!
ビックリしました!
私の弟子でとても優秀な若者がいました
放送作家として頑張っていたのですが
それが、目先の生活の苦しさにアルバイトに
勤しむようになってしまったのです
放送作家の仕事も与えているのですが
最初は、なかなかお金にはなりません
なので、それより稼ぎがいい
アルバイトに走ってしまったのです
「私は放送作家である」
がコンフォートゾーンの頃は
本当に根性を据えていい文章を書いていたのですが
「私はフリーアルバイターである」
がコンフォートゾーンになった瞬間から
文章がまったくダメになってしまったのです
アルバイターがコンフォートゾーンになったのだから
アルバイトの方はさぞやいい仕事をしているのでしょうが
作家としての腕が、がた落ちしてしまったのです
本人に注意すると
「いえ、全然手は抜いていません
今までと同じに書いています」
と言うのですが、あきらかに違うのです
私の思い違いではなく、目に見えて違うのです
人間って恐いですね……
私も「矜持」と言う言葉をよくつかうのですが
自分の中の
張り詰めた自我
踏ん張る気持ち
自分への自負
……そういった物を一旦諦めると
ガラガラと音を立てて崩れていってしまいます
しかも、本人が気付かないうちに……
みんな頑張りましょう!
私も頑張ります!
追記 作家がすべてではないので
アルバイターで輝く自分が手にはいるなら全然構わないのですが
せっかく身につけたスキルなのですから
作家として頑張ってくれることを祈っています
まあ、彼の人生なので
私が口出しすることではないですね……