ここ「オーエスプロダクション」はテレビ創世記からの草分け的存在の芸能プロです。1950年代、まだ映画が主流で、新しく出来たテレビなんて媒体は誰が見るんだ、一流の俳優は映画以外は出ない、テレビになんて出ると価値が下がる、といわれていた時代がありました。そんな時代に、もともと祭りや縁日での大道芸人の興業をやっていた「沖本興業」の創業者、沖本慎一郎がいち早くテレビの将来性を見抜き、それに芸人を次々と出演させるプロダクションを始めたのです。そして後に改名し、沖本慎一郎の頭文字を取って、現在の「オーエスプロ」に至るわけです。
今でこそ、様々な芸能プロが群雄割拠ですが、オーエスプロはまだまだ老舗の力を誇っています。場所柄、ビルの1階はコンビニエンスストアを店子に入れていますが、上の4フロアでは足りないくらいの事業規模です。
2階は「第一芸能部」と「第二芸能部」。
第一芸能部は、バラエティータレントの担当、もともと数々のテレビタレントを育ててきたオーエスプロの主力部隊です。最古参であり会社の取締役でもある山田が部長で、比呂志はここのチーフマネジャーを務めています。新人から大御所まで、所属タレントは30人以上です。中でも脂がのっている30代後半の芸人コンビ、「ミッドタウン」と「最終決戦」は稼ぎ頭です。ミッドタウンはゴールデンで看板番組を2本、深夜番組を3本、最終決戦はゴールデンを1本、深夜を4本持っています。彼らがメインを張るそれらの番組に、ゲストや、コメンテーターでオーエスプロのタレントをキャスティングし、そこで次の人気者を生んでいくという良いスパイラルにはまっています。そして、ミッドタウン、最終決戦をデビュー当時から面倒見てきた比呂志は、社内でも一目置かれ、2年前から第一芸能部のチーフを任されるようになったのです。そして、現在は第一芸能部の中で、新人のお笑いや、グラビアアイドルなど十数人を担当し、各局の色々な番組にキャスティングしてもらえるように営業活動をする、この会社の将来を担う重要な仕事を任されているのです。
第二芸能部は、第一芸能部に続きオーエスプロの屋台骨を支える、俳優を担当する部署です。看板である「結城彩名」は各局ゴールデンドラマ枠で、奪い合いが起こっている売れっ子女優です。2年先、向こう8作品まで主演が内々で決まっており、そろそろテレビドラマを卒業させて、映画の世界に殴り込もうかという逸材です。しかし、この結城を卒業させる前に、次なる主力テレビ女優を育てなくてはならないという、大変な課題を、現社長から与えられている部署でもあるのです。
3階は「第三芸能部」と「第四芸能部」。
第三芸能部は文化人担当です。大学教授、小説家、スポーツ選手、医者、弁護士など、それぞれが所属する団体とは別に、芸能活動をするときの窓口として契約をしています。なかなか素人さんにはわかりづらい芸能界の仕組みである、キャスティング、現場のアテンド、スタッフとの交渉、ギャラの請求などを代行する変わりに、彼らが芸能活動から稼ぎ出すお金の50%を頂くという契約です。ちなみにこの50%というのは、どのタレントプロダクションもほぼ同じような数字です。
余談になりますが、芸能プロダクションのお金の話をしますと、第一芸能部のテレビタレントや、俳優は基本的には給料制です。仕事をしても、しなくても月額固定のギャラを支払います。少ない人は数万円、多い人で150万円、毎月固定で出て行きます。だからスケジュール帳が真っ黒になるまでドンドンと働かせて、月給以上のギャラを、テレビ局から頂かないと芸能プロダクションとしてはやっていけないわけです。ちなみに、売れっ子になるとプロダクションとしては歓迎は出来ないのですが、通例として歩合制に変更になります。これを拒むと、移籍や、独立話が出て面倒になりますし、歩合制を認めるのが芸能界の暗黙のルールなのです。こうなると、プロダクションが2割、タレントが8割など、ケースバイケーズですが割合が決まり、年収数億円という信じられない金額を手にするスターが誕生するわけです。
話が横にそれましたが、オーエスプロダクション3階の第四芸能部は近年出来た小さな部署です。声優やナレーターを担当しています。こうした、声だけの仕事もアニメブームに乗って少なくない利益を会社にもたらせてくれます。
4階は「事業部」「出版部」「モバイル部」。
所属タレントのテレビ、映画などの仕事と連動し、舞台化したり、イベント化したり、写真集を出したり、エッセイや私小説を書かせたり、着メロや待ち受け画面を作ったり……権利ビジネスを展開する部署です。最近では、テレビ界でも番組外収入、二次展開、ワンソフトマルチユースといった考え方が叫ばれるようになり、急成長の部署です。
そして5階は「社長室」。
全てを掌握するオーエスプロの首領、カリフォルニア大学でMBA取得の35歳。父親である創業社長の沖本慎一郎の勇退で、会社を譲り受けた二代目社長、芸能界の革命児と呼ばれる「沖本誠也」の城です。
そして今、そこから彼が下りてきて2階のフロアで檄を飛ばしています。ノーフレームの眼鏡、仕立ての良いスーツ、オールバックの髪、いかにもエリートビジネスマンを絵に描いたような二代目社長の御機嫌は、今日も良くないようです。
「ですから、青山のアカデミーの開校は絶対に来月、4月に間に合わせてください。一ヶ月でも物件を遊ばせないでください。貴方たち全員の月給より多い額の賃料が無駄になります、遅れた場合は、なんなら給料と相殺で処理して差し上げても構いませんよ」
オーエスプロは、今年からアカデミーを開校します。お笑いコース、俳優コース、放送作家コース、ディレクターコースの4コース、それぞれ定員が50人という大規模なスクールです。講師は横のつながりで各業界で活躍するトップを招聘しています。大手芸能プロダクションは既に参入している分野で、オーエスプロとしては後発になるのですが、社長の鶴の一声で半年前から準備していた新事業です。しかし、事業部では計200人の生徒が集まらずに苦戦しているようです。
「いいですか、これは業務命令ですから面倒とか言わせないでください。ミッドタウン、最終決戦、結城彩名には月に一コマで良いから講師をさせてください。これを広告塔にして生徒を一気に集めます」
確かに社長にしてみれば、ここまで気合いが入るのもわかります。半年コースで授業料は40万円、200人集まれば8000万円、年間にして1億6千万円の売り上げ、なかなか良いビジネスです。
でも、比呂志の顔は少し曇ります。ミッドタウン、最終決戦、芸人にとっては何事も勉強、講師をするのも良いでしょう。しかし結城彩名にとってはマイナスになるのではないかと心配しているのです。彼女の女優としてのカリスマ性、神秘性は、第二芸能部の一同が心血をあげて作り上げた物です。本来の彼女は、冗談好きで、笑い上戸で、どこにでもいる女性です。生徒達の目の前に、台本もなく立たせるのは、如何なものかと疑問に思わざるを得ないのです。
「このフロアにいる大学を卒業されていない方でもおわかりと思いますが、芸能プロダクションは企業です。大切なのは収益です。親父の代とは違います。3年かけてここまできた改革をあと2年で仕上げます。2年以内にこの会社を上場してみせます」
一部の若手から拍手が起こります。比呂志達が密かに「誠也チルドレン」と呼んでいる、沖本誠也が社長の席に着いてから入社した新人組です。
「芸能はそういう事じゃないんだよ、若僧が」
仁丹をガリガリ噛みながら、部長の山田が小声で囁きます。比呂志もそれには何か共感できる部分があるのです。芸能プロダクションが株式上場することがそんなに大切なのでしょうか。確かに、ストックオプションで比呂志達も臨時ボーナスになりますが、そもそもお金を儲けるために芸能界に入ったのではないと思うのです。確かに給料は安いより高い方が良いに決まっています。所属の芸人達も、俳優達も高いギャラをもらえれば良いと思います。でも古臭いことを言う気はないですが「芸事」なのです。芸能界は芸を魅せる世界です。お笑い、俳優、文化人、声優、それぞれ表現の仕方は違えど、一般の人にはない「才能」を磨いて光らせ、人々を魅了するのが、この世界の夢なのではないでしょうか。それを、芸能の世界には余り興味がなく、高校からアメリカに留学しMBAを取得した社長は、オーエスプロを単なる企業経営としか見ていない節があるのです。何か違うのではないか、そんな空気が比呂志を始め、昔からの社員の中にはそこはかとなく漂うここ数年なのです。
「さあ、今月もあと少し、売り上げ目標に達しない部署は頑張ってくださいね。もう、お辞めになりたいという方は除いて」
アメリカ帰りのMBA社長が演説を終えドア消えようとします。と、そのドアがバタンと開き、そこに最悪の人物が立っているのです。
「やばい」
比呂志と部長の山田が顔を見合わせます。
そこに立っているのは、明日香です。神の悪戯か、悪魔の微笑みか、あの明日香が、社長の前に立っているのです。